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お一人さまアラサー社畜が、思いつくまま好き勝手に書いています。

思い切ってやめてみた事

お題「思い切ってやめてみた事」

 

婚活。

 

私には幼少期から、ドン引きするほど結婚願望がありました。

というのも、私の家庭環境というのが、あまり良い方ではなかったからです。

短気で暴力的な父。それに怯える母。

私にとって、父は恐怖の対象。母は保護対象でした。母親に対して、保護というのは変な表現ではありますが、まさに、その通りだったのです。

家を出るまで、常に父の機嫌を伺って、過ごしていました。

家族で、何処かへ出かけた事もありません。

誕生日を祝ってもらったこともない。勿論、プレゼントも。

幼少期に、サンタさんはいるのか?いないのか?と友人達が議論をしていて、そこで初めてサンタさんの存在を知る。

クリスマスにプレゼントをもらえるんだ。知らなかった。

その後、友人達の議論に巻き込まれたのですが、サンタさんを知らなかった私は、曖昧に誤魔化し、その場は事なきを得ました。

 

我が家では、お風呂の順番が決まっていた。

勿論、父が一番最初で母が最後。

何故かというと、嫁は外から来た者で汚いから、最後。私は、その子供だから母の前に入る。これが、父の考えでした。

一度だけ母が、村の祭りで帰宅が遅くなった祖母より先に、入浴をした事があるのですが、その際に父に「なんで、お袋より先に入るんなら!!」と、もの凄い剣幕で怒鳴られました。

その時、私も母の前に入浴していたので、一緒に説教。父が言った「汚い者」という言葉が未だに忘れられない。

 

父のクレイジーさを、私と母は周囲の人達に相談したのですが「あの人が、そんな事を言うはずがないし、暴力なんて振るうはずがない!」と、取り合ってくれませんでした。

父は外面が良く、周囲の人達から「いい人」で通っていたのです。

なので、周囲の人達からしてみれば、そんな父を悪く言う私達親子の方がクレイジー

母は一度、父から平手打ちをされた衝撃で、サイドテーブルに頭をぶつけて脳震盪を起こし、救急車で病院で運ばれた事があるんですけどね。

田舎なので、救急車が家に到着した際に、わらわらと野次馬根性で、集まっていましたが…違和感を感じなかったのだろうか…。

その件は、いつの間にか、母が足を滑らせて転倒した。という事になっていた。

 

私は高校を卒業後、家を出ました。

その際、家に母を残していくのが心配だったので、殆ど夜逃げ同然で母を連れ出しました。

母は、母の実家に押し込んだので一安心。

母の実家には、母の姉である伯母が住んでいるので、そこなら安心だろうと思い、母を連れて行きました。

母は四人姉妹で、母を含めて三人の姉妹は嫁いでいたのですが、大病を患ってしまった伯母は、お見合いの話を断り、一人実家で暮らしていたのです。

三人共、お見合いで結婚していて、長女の旦那さんの繋がりで、母と父はのお見合いが決まったそう。

田舎という事もあるのか、母の時代は、本人の意志とは関係なく、お見合いをさせられていたようですね。

最初は、愛想の良かった父も、過ごしていくにつれ急変。母は離婚も考えたそうですが、長女の旦那さんの顔を潰すことになるので、我慢していたそうです。

母方の祖母は、そんな場所に娘を嫁がせてしまった事に、いつも嘆いていた。

姉妹の二人は地元の人に嫁いだのですが、母だけ他県でした。そんな、遠い場所へ娘を嫁がせてしまった祖母の心境は…。

逃亡後、父と一悶着あったのですが、その話は長くなるので書きません。何より、内容がお題から、どんどん遠ざかっていくので(笑)

 

前置きが長くなりましたが、そんな環境で育った私は、安心して過ごせる家庭というのに、強い憧れを抱いていました。

いつか、温かい家庭を持ちたい。

お金持ちじゃなくていい、貧乏だって構わない。

心から愛する人と結婚し、その人の子供を産んで、穏やかに暮らしたい。

これが、私の幼少期からの夢でした。

 

なので、私は積極的に婚活パーティーへ参加し【若さ】という武器を使い、参加をすると必ず、カップリングを成功させていました。

しかし、その相手とは長く関係を続ける事はできなかったのです。

その理由は、私の持病でした。

私は【てんかん】という病気を、中学生の頃に発症し、現在も薬を服用しています。

持病の事を打ち明けると、決まって相手からLINEをブロックされたり、「少し考えさせて欲しい」と言われ、その事音信不通になってしまう。

そのような事が、続いていました。

 

意識を失ってしまう【てんかん】という病気。運転中に発作を起こし、事故を起こしてしまった…という衝撃的な現状に、世間では、まだまだ風当たりが強いのが現実。

しかも、意識を失ってしまうので、常に薬を服用していなければならない。もしも、結婚して子供を授かったとして、妊娠中に薬を服用した結果、子供が障害を持って生まれてきてしまうことがある。

婚活パーティーに来ている人達は、私と同じく結婚し家庭を持ちたいと考えているし、子供を授かりたいと願っているだろう。

私を選ぶ必要があるのか…勿論、てんかんという病気と闘いながら、結婚し子育てをしている女性がいることも知っている。

病気のせいにしないで、前向きに婚活を続けていました。

そもそも、私の人間性に問題があって、そこに原因があるのでは…と思い、自分の身の振り方を考える。

 

あれこれ試行錯誤しながら、悲観的にならないように努力をしていたのですが、結果は同じ。

そんな中、高校の部活(演劇部)の同窓会を開くことになりました。そこで、私が所属していた当時には卒業していたのですが、時折覗きに来ていた先輩と再会。

連絡先を交換して数日後、先輩から告白を受け、付き合うことに。

今まで、お互いを知らない内に持病のカミングアウトをしていたので、関係を深めてから持病の事を話そう。

私自身を見てくれたら、中身を好きになってくれたら…と考えたのです。

持病の事を秘密にしている事に、罪悪感を抱きつつも、関係を深めていきました。

そして、ついにカミングアウトすると、数日後に「他に好きな子ができた」と、メッセージが届く。

あー、駄目だったか。全く知らない仲ではなかったので、最初に「私は、こういう持病を持っているのだけど、それでも付き合ってくれるか」とカミングアウトすべきだったのだろうか。

私が打算的で不誠実だったのだろうか…色々と考えて反省し、婚活を続けました。

持病があっても、結婚して幸せに暮らしている人もいるのだから、絶対に病気のせいにはしたくありませんでした。

ここまでくると、人間性の問題なのかな…でも、絶対に婚活を成功させたい。

 

より一層、身の振り方を気をつけて、婚活パーティーなどへ、積極的に参加を続けていましたが、元々メンタルが強くなかった私は、どんどん精神的に追い込まれていきました。

最終的には、自分は周りにどう思われているのだろう…どう映っているのだろう…と、常に周囲の目が気になって仕方がなくなる。

ヤケになって、婚活パーティーのプロフィール欄に、持病の事を記入したりした。

人と会うのも嫌で、何をするのも億劫に。

 

そして、ふと気づいたのです。

あれ、幸せを求め過ぎて、逆に不幸になってない?

私は自分自身を、崩壊させる道を選んでいたのでは…。

自ら、底なし沼に足を突っ込んで、どんどん沈んっていっている…このままだと、完全に飲み込まれてしまう。

心身共に疲れ果てていた私は、思い切って婚活をやめました。

少し休もう。そう思い、婚活サイトの会員を退会。

思い切って婚活をやめたら、心が軽くなりました。

よくよく考えてみると【結婚=幸せ】ではないんですよね。

現に、母は結婚をして不幸になった。伯母は結婚していないけど、伯母は不幸なのか…幸せは人それぞれで、こうでなくてはいけない!という明確な答えはない。

私は、幼少期の夢を追いかけるあまり【結婚=幸せ】の固定観念に、取り憑かれていたのです。

私は私の幸せを見つけよう。そう思ったら、精神的に楽になったし、冷静に物事を判断できるようになりました。

 

とはいえ、幼少期からの夢を諦めたわけではないのです。ただ婚活をやめただけ。

現在、アラサーですが、世間から見れば、まだまだ若い年齢。

これから、生きていく中で、そういう人に出会えればいい。がつがつと今を求めるのではなく、長期的視野を持つことにしました。

その結果、一生独身かもしれませんが、まあ、それも人生(笑)

正直、結婚して子育てをしている同世代の人達を羨ましく思いますが、妬んだりはしないようにしています。

憧れる事はあっても妬まない。心も視野も狭くなるので、それは、絶対にしないように努める。

今は、そんな事を考えながら、ゆるりと過ごしています。

 

最後まで拙文をご清覧いただき、ありがとうございました。